単なるオウム返しなんじゃないの?
テクニックとしての繰り返し
カウンセリングの基本的なテクニックとして、クライエントの使っている言葉を代えずにそのまま返すという方法があります。しかし、クライエント側からするとまるでカウンセラーは何も考えすにただ言葉を繰り返しているだけで、まるでオウム返しをされていて、話を聞いてもらえていないと感じることがあります。これは、本来はカウンセラーが話をきいて、カウンセラーの言葉に代えてしまうとそれはクライエントの言いたいこととズレてしまうという考えから来ています。
わかりやすく言うと、「母に『おまえは何をしてもダメね』と言われて、ふつふつと怒りが湧いてきたんです」とクライエントが語ったのを、カウンセラーが「お母さんに対して腹が立ったんですね」と要約して返すと、クライエントが語った、怒りが静かにしかし次々と湧いてくる感じが受け取られずに置き去りになってしまうということです。
カウンセリングにおける「聴く」ということ
カウンセリングにおいて「聴く」ということがどういうことなのか、私が学生のときにきいた話が今も自分のベースになっています。
それは鑪 幹八郎先生が夏目漱石の「夢十夜」の第六夜の仏師の登場する夢について引用して言われていたことです。「夢十夜」は夏目漱石が実際に見た夢を10編集めた短編集です。その中の「第六夜」にはとある仏師が出てきます。その仏師が言うには、仏を木から彫る時、仏師が彫っているのではない、木の中にすでにある仏を彫り出しているのだ、と。鑪先生はこれがまさにカウンセリングなのだと書かれていました。
カウンセリングと言うと、まるでカウンセラーが自分の思いもしなかったことをズバリ当てて、解決に導いてくれる、そういうイメージを持たれているかもしれませんが、実際はクライエントが答えを持っていて、それを、クライエントの語りのなかからカウンセラーと共に見つけ出していく、非常に地道な作業なのです。
単なるオウム返しじゃないんです。
言葉をそのまま返すのは、本当に基本中の基本のテクニックです。実際は、多くのカウンセラーはそれだけではなくて、クライエントの語りたいことは何かを考えてどこを返すか考えて応答します。また、カウンセリングで考えたい問題についてさらに考えを深めていけるようなきっかけになる返し方をします。あるいは、あえて言葉を繰り返さない、ということもあります。これは私に実際にあったことですが、クライエントから、自分の言葉をカウンセラーから繰り返して聴くと「自分はそう思ったんだ」と強く感じてしまってしんどいと言われたことがあります。その方には、言葉で返すのではなく、相づちのうち方、その時の声の高低、雰囲気などノンバーバルな(非言語的)な伝え方を工夫して話をきくことにしました。そうすることでその方も、自分の話をカウンセラーが受け取ってくれていると感じながら、安心して話せるようになりました。
カウンセラーの頭の中はカウンセリング中フル回転です。クライエントがそれこそ混沌とした状態の中にいるところから仏様をいっしょに彫り出すためには、うかつな一手で木に触れられません。慎重に、いろいろな可能性を考えつつ、言葉を選んでいるのです。